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擇木ブログ - 参禅について(荻窪禅会ブログ)

参禅について(荻窪禅会ブログ)

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/1/29 22:52
 昨年7月に、葆光庵春潭老師に入門をさせていただき、以後、楽しく参禅をさせていただいております。
 見解が透過しないときでも、毎回自分なりに発見のあることなどが面白いのですが、少し違和感を抱くことは、私が「参禅が楽しい」などと言うと、若干驚かれる方の多いことです。
 違和感を抱く理由は、どこか楽しむ余裕がないと、禅は、「今、ここ、自己」が大切なのに、将来の成果のために、「現在、ここにいる自分」を犠牲にすることになってしまうのではないかという気がするからです。
 とはいえ、「参禅を楽しむ」という言葉だけでは、何か「ふざけている」とのニュアンスで伝わってしまう気がして、何かよい言葉がないかと思っていました。
 そうしていたところ、インターネットで、坐禅を紹介する記事を見たときに、坐禅を「嗜み」としてやるという言葉を目にしました。
 「嗜み」……よい言葉だと思いました。
 茶道や俳句などといった日本の技芸は、一生真剣に取り組む「道」ですが、「楽しむ」ものでなければそもそも存在する価値がありません。
 禅は、「楽しめない」部分も含めて「味わう」態度が大切ですから、そのまま当てはまるものではないとも思います。
 しかし、少なくとも、「現在、ここにいる自分」を犠牲にしてしまうような態度よりはよいのではないかと思うのです。
 人間禅では、茶道や俳句などもやりますが、同じような態度で、参禅に取り組んでもよいのではないでしょうか。
 
英風 拝
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