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擇木ブログ - 酔生夢死

酔生夢死

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2019/1/28 4:57

酔生夢死とは?

 

日中は仕事を適当にこなし、後は早く酔って憂さを消す。

休みの日は有り金でギャンブルに行くが、すぐに使い果たし、後は不貞寝。死ぬのは怖いが、死ぬまでの時間が鬱陶しい。酒と雑事で死を忘れ、漫然と過ごすうちに、やがて死ぬ。

「酔生夢死」と言ったら、こんな生き方のことかと思っていました。

 辞書にも、「何も価値のあることをせず、ただ生きていたというだけの一生を終えること」とあります。

 しかし、実は少し違うようです。

 出典は、中国北宋の大儒学者「程顥(ていこう)」の語録。

「高才明智といえども、見聞に膠するは、酔生夢死して、自ら覚らざるなり」

から来ています。

 要は、どんな秀才であっても、授業で聴いたこととか、本で読んだことだけに捉われていると、何となく生きて死ぬことになるよ。このことは、自分では気づきにくいことだよ。といった意味のようです。程顥は、日本に禅が伝えられる前の中国禅に大きな影響を与えたと言われる「荘子」の影響を受けた人と言われているようです。

 そのせいか、程顥は、様々な自然現象を成り立たせている働きを「理」と呼び、理は直観によって把握すべきであるとして静坐(=坐禅)に打ち込んだ人のようです。朱子学にも大きな影響を与えています。

 朱子学と言えば、朱熹(=朱子)ですが、その偶成という詩から有名な訓言が引用されています。

「少年老い易く 学成り難し 一寸の光陰 軽んずべからず」

 学生の頃に、一生懸命勉強しなければだめだよ、という時に引用されたような気がします。

 ところが、この詩は、実は日本の室町時代の臨済宗の禅僧が書いたもののようです。

 すると「学成り難し」の意味がまるで違ってきます。一刻も早く修行を成就させ、生死の迷いから抜け出し、素晴らしい人生を過ごしなさい。でも早くしないと、死の恐怖を克服できないうちに命が尽きてしまいますよ。といった感じになります。

 いずれにせよ、デカルトやベーコンなどの西洋哲学の大きな影響を受けている現代では、観察と実験を重ね、科学的に解釈ができないものは学問ではないという扱いを受けがちです。「絶対樹と相対樹」で言えば、相対樹しか見てこなかったわけです。

 ところが、私達は最大の難問である「自分の死」についても理解することは困難です。死の床にあっては、死は未来のことで経験できません。死んでしまったら喋ることができないので、死の経験を後世に伝えることはできません。このような人生の問題は「絶対樹」を磨いて充実させていくしかないようです。

 そして古来の哲人が絶対樹を充実させることこそ、学問であると捉えていたことは改めて着目すべきことのように思われます。 日峰

 

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