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擇木ブログ - 経営者、代表者が禅の修行をやる場合の注意点

経営者、代表者が禅の修行をやる場合の注意点

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/7/17 0:16
心印です。
 
今回は少し特殊なテーマを取扱います。私は擇木道場で修行を始めて6年目に入っていますが、道場にかかっている名前の札(禅堂に入ったら右手に掲げられています)を見ると、たった6年なのに、大勢の後輩が名前を連ねているのです。
 
私が作り、それを皆で一生懸命ブログや記事を書いて育てたホームページを見て、大勢の方が禅を始められているので、それは喜ばしいことなのですが・・・
 
禅を本格的に修行しようと決心して、参禅(公案によって個別に老師の指導を受ける修行)に入ってくる方には、それぞれいろいろな理由があるわけですが、中には残念ながら参禅が継続できずに道場に来なくなっている人もいるわけです。
 
そこに、一つの共通するパターンがあることに気づいていて、ずっと考えてきたのですが、そのことについて書こうと思います。しかし、輔教師のレベルでは公案そのものについて書いたり、言ったりすることは許されておらず、そこには触れません。
 
見性してしばらくして参禅を辞めてしまう例は過去に何度もあるようで、老師はそのことについて、以下のような文章を書かれています。ここでは一部を引用しますが、とても重要なので参禅をされている方は全員が全文を読んでほしいものです。
 
「禅の修行の道程と三昧の深まり」
http://zenfrontier.org/modules/myalbum/photo.php?lid=5&cid=1
 
==== 引用ここから ==== 
「しかし、これらは頭の素天辺から足のつま先までの全身全霊で三昧になって到達した絶対の境地でありますが、見性し道号を頂いてしばらくして陥りやすい落とし穴があるのです。それは、師家に呈して許された見解を、言語(文字)として記憶して、この公案の見解を記憶している言語(文字)によって思い出して、見性の端的と思い違いをする人が時々居るのであります。 
 
見性・悟りは絶対の境地であり、決して相対的に思索したり言葉的に表現したり左脳で記憶することはできないものであります。それらは全て、許された見解(見性の境地)とは全く異なるものであります。この落とし穴に落ち込んで悩んでいる若い修行者が時々おりますし、見性し道号を頂いてからしばらくして道場から足が遠ざかっている者の大部分は、この落とし穴から抜け出られない方々であると云って過言ではないと思います。」
==== 引用ここまで ==== 続きは禅フロンティアのページで。
 
老師が書かれているパターンは、見性を文字で記憶してしまった場合の罠ですが、私はこれに加えて仕事の内容から来る罠があると考えています。
 
それは、人に使われる立場である会社員(部長や課長もこちら)や、店員、事務員のそれと、人を使う立場の経営者、代表者、会長、社長のそれとは大きくスタンスが違っているように思えるのです。
 
さて公案を授かって、参禅を熱心に行うと、いずれは必ず見性に至るわけですが(熱心に・・・という条件付きですが)、その後、続きやすいのはどちらでしょうか?
 
 
     さてさて・・・どちらでしょうか・・・
          ・
          ・
          ・
 
実は人に使われる立場の方が続いている事例が多いのです。もちろん人によって違いがあるのは当たり前で、一部上場企業 超多忙な経営者でも修行を続けている方はいるし、会社員でも続かない人がいます。
 
でも経営者や、代表者、社長さんなど(以降は経営者だけ書く)は陥りやすい罠があり、それに注意しなければなりません。感覚ですみませんが、経営者の場合は会社員に比べて2倍は来なくなっているような気がします。
 
これは何故なのでしょうか?
 
会社員の場合は、見性したとしても大きく仕事の立場や、参禅のスタンスが変わるわけではないので、そのまま継続し続けやすいし、三昧でつく集中力が仕事に応用できて早く帰れるようになるなど効率が良くなるくらいです(私の場合は、その分道場の仕事を増やしてしまったので、トントンですがw)。
 
しかし経営者の場合は・・・違うのです。
 
経営者は自分で仕事の内容を変えられます。会社の代表ですから当たり前ですよね。
 
見性すると自分がはっきり掴めることから、迷いがなくなります。自分の枠や限界だと思っていたものが幻想だったとわかりますから、どこまでもパワーが出ます(出るような気がします・・・)。
 
それで新しい事業をおこそうとしたり、新しい取引先を開拓しようとしたり、時には会社の業務や組織を大きく変更してしまおうとします。
 
ここに会社員にはない罠があるのです。
 
見性したてのことを禅の専門用語で「見性入理」と言います。人間禅を作られた耕雲庵老大師の書かれた「人間形成と禅」によると、137ページ「見性と悟道と」のところに、見性と悟道は、知ると、得るの違いだと書かれています。「知るのは得るまでの準備段階に過ぎない、得なければ実際には役に立たない」ともあります。
 
つまり見性したての時は知っただけなので、実際には役に立たないと言われているのです。「見性悟道」の段階に進んではじめて役に立つのだと言うのです。
 
つまりは見性したて、まだ知った段階のうちに新しい事業を起こすとどうなるか?
・・・・必ず失敗します。ここで無理や背伸びをしなければいいのかもしれませんが、おそらく経営者は責任上、必ず無理をし、背伸びをし、自分の実力以上のことに手を出してしまうのです。
 
その結果、その仕事の後始末に追われ、社員やお客様は右往左往することになり、公案の修行どころではなくなるのです。大きな借金を背負ってしまった後輩もいます。
 
あまり、こういう現実は一般の方も読むブログには書かない方がいいのかもしれませんが、現実から目を背けて何が禅者だと思うところもあるし、あまりにも事例が多いので、あえて書いてみました。

私の経験でも、見性してしばらくは、三昧を足の裏に擦り込むように座れと言われましたし、その意味は当時わかりませんでしたが、多少は、修行が進んだことで、自分が通ってきた道でわかってくることもあるのです。

私は見性したての頃、なんでもやれるような気がして、会社を辞めて事業をおこそうか?と半ば本気で考えたことがありますが、あの頃にそうすると確実に失敗しただろうなと思います(ほっ)。

「見性悟道」に至ってから事業を起こそうw

心印 拝
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