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擇木ブログ - インドラの網

インドラの網

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/3/24 0:45
「法照」です。
自分の道号に括弧をつけている理由は、また後ほど。
さて、来る3月26日は
『華厳経』を読む② 「真実を求めて~善財童子の旅」
がございます。
一年かけて慧日庵老禅子がお送りした仏教講座も第一期はこれが最後になります。
これに関連したお話しをしたいのですが、善財童子については前回のブログ
「善財童子」
で記載しましたので、今回は講座で取り上げられると予告されている宮沢賢治について書きたいと思います。
第5回の仏教講座でも慧日庵老禅子が少し触れられましたが、宮沢賢治と華厳経のつながりというと「インドラの網」になります。
「インドラの網」をお読みになったことはございますでしょうか?
読んだことのない方は、下記の青空文庫から無料で読むことができます。
青空文庫「インドラの網」
※青空文庫は著作権が消滅した作品を無料で公開しているサイトです。
「インドラの網」は、ネットなどで調べると「童話」として紹介されていますが、「童話」というにはかなり難解です。
第5回の講座でも少しご説明がありましたが、「インドラの網」とはインドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網のことで、結び目にそれぞれに宝珠がついていて、その一つひとつが他の一切の宝珠を映し出すという深遠な世界を現しています。
また、ストーリーは于闐(こうたん)という都市(華厳経の経典が秘蔵されていた都市)にあった于闐大寺を発掘した青木晃が、ひどく疲れて倒れていたところ、気づくと壁画にあった三人の天の子供たちに会い、幻想的な世界の中で天の子が指し示すインドラの網を見て…、と続いていきます。
宮沢賢治といえば、詳しい方は「なぜ法華経を信仰している賢治が華厳経を題材にしたのか?」と思われたかもしれません。
調べてみると賢治は法華経を深く信仰していたようですが、それ以外の知識も広い分野から得ていたことが宮沢賢治が残した蔵書目録から見て取れます。
文学(日本、世界文学)、古典、思想、仏教書、聖書、数学、化学等々。
宮沢賢治には「四次元」に関する著作もありますが、相対性理論などの本も蔵書目録の中にあります。
(「インドラの網」の中にも「重力」という単語が出てきます)
それほど賢治の知識は多岐にわたっています。
自身の信仰のみならず、あらゆる分野の知識を貪欲に吸収して独自の世界観を構築していったことが蔵書目録から想像することができます。
膨大な知識と賢治の感性から作られたこの物語は出てくる言葉の一つ一つが荘厳な世界を想像させますが、それが最終的に何を現しているのかを読み取るのは非常に難しい作品であると感じました。
賢治の世界観は先ほど「読み取るのは非常に難しい」と書きましたが、結局「読み取る」ということで理解できるものではなく、最後は読む側の感性を最大限に使って感じ取るしかないものではないかと思いました。
そう考えると、この物語は「公案みたいだ」ということも言えるように思います。
「公案」というのは禅の問題で、私たち禅の修行をする者は老師から公案を授かって、答えを考えて師である老師に見解(答え)をもっていきます。
「答え」とは書きましたが、公案は理屈で考えて答えの見つかるものではなく、理屈以外の、感性からでてくる閃きといった形で現れてくるように思います。
「インドラの網」も理屈で考えると、「結局何が言いたいの?」で終わってしまうような終わり方です。
言葉で考えるのではなく、宮沢賢治の「世界観」のようなものをいかに感じ取れるかでこのお話しを深く受け止められるかどうかが変わってくるように思いました。
皆様、もしこの物語をお読みになりましたらどのように感じられますでしょうか?
無料で読めますので、是非、読んでみていただければと思います。
さて、冒頭で自分の道号を括弧で括っていた理由ですが…
道号とは最初の公案を透ると(正しい解答をすると)老師からいただける名前になります。
「法照」という道号をいただいたときは驚きました。
「法」といえば、ざっくり言えば仏の教えというものでしょうか。それを「照らす」…
いやいやいやいや、ちょっと待ってください…
そんな大それた道号、いただいてよろしいんでしょうか?
正直、うれしいよりも怖かったです。
が、そんな大それた道号をいただいたからといって、いきなり法を説けるわけもなく…
(だいたい、修行が一定以上まで進まなければ法を説いてはいけないという決まりもありますし)
自分には過ぎた道号だなと思っていたのですが、仏教講座のスタッフとして関わっていて少しわかってきたように思います。
「インドラの網」は、結び目にある無数の宝珠がそれぞれの光を反射して無限に広がっていきます。
法を光と例えるならば、お釈迦様から始まった光は、弟子達に反射して、更にその弟子達へと脈々と続いてきました。
その降り注いだ光の先に我々人間禅もあり、慧日庵老禅子が仏教講座という形でまた光を反射していきます。
私の役目は、その光が皆様の元に届くように、私自身は光ることができなくとも皆様の元にその光が届くようにするすることではないのかと思いました。
自分は法を照らせなくとも、法を照らす人の元へ皆様をご案内できれば、インドラの網も輝きを増していくのではないでしょうか。
そう考えるようになって、自分の道号もすこしなじんできたように思います。
是非、皆様もインドラの網にある宝珠の一つとして、光り輝いていただければと思います。
合掌 「法照」 拝
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