擇木ブログ - 3月1日 さいたま座禅会のひとこま
美人が多くなったなぁ、と思う。
昨日は座禅会でお渡しする「数息観のすすめ」が不足したので擇木に寄って
ばったり、道場事務をやっていた香水さんに出くわす。
座禅会がなければ、飲みにでも誘うのだがなぁ。
浦和に着いてお茶菓子とお茶を買って公民館の会場に。
翠香さんがすでに会場設営を済ましていて、あ、ここにも美人がいたね。
そのうち、いつもの剣道家の女性が来られ、先週参禅会に参加した方、
そして祖芳さん、それに擇木で坐っています、という男性も。美人だね、
美人は男女に関係ない。
坐禅は、坐ろうと思った瞬間に人を美人にする、、、のかもしれません。
珍しく、しっかり坐れていい感じでお茶タイム。そのあと「正念の工夫」に
ついてを読む。「まえがき」だけでタイムアップ]、このあとが面白いところ
だが次回のお楽しみ!! でも、「まえがき」だけで、公案と提唱と「正念の
工夫」の位置づけがわかりますね。
え? わからない。・・・・ハイ、家でもう一回読んでね、・・・ということなく終了。とっても伝えたいことなので、ここに掲載させていただきます。
http://www.ningenzen.org/zen39/02-2.pdf#search=%27%E6%AD%A3%E5%BF%B5%E3%81%AE%E5%B7%A5%E5%A4%AB%27
でも、ね。頭で理解するのではなく、坐って、それをわかってね、と。
まぁ、だいたいのご提唱とか公案について書かれた本は、「例のほらアレ、そうだよねぇ」という専門学会のパーティに一人紛れ込んだようで、専門用語も沢山出てくるし、わかる人には、わかるのだけど、わからない人には話を聞こうが解説されようが、さっぱりわからず身のおきどころがないのですが、この「正念の工夫」はわかるところがあると思いますしね。
そのあと、男3人でいつもの飲み屋で山形正宗をゴマよごし、串焼き、漬物などで歓談。呑んでいて、あぁ、そうだったのかも・・・・と思う。
形にならないものはそのまま言葉にもならないまま、突然に。
今朝、読んだ本の冒頭に、1983年のアメリカの脳の実験で、筋肉を動かそうと
する指令より運動の指令が早かったそうで、意識はあとづけで受け取ってエピソードを記録する、とありました。無意識、というものだそうで。
この無意識、・・・武道の人の常識ですね、思う前に動ける、これ。
坐禅も・・・無意識・・・言い換えれば習慣となればしめたものです。
今月は、8日と15日の水曜は仲町公民館で座禅会。
23日の木曜がしみん会館うらわで「参禅会」です。 海香
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