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擇木ブログ - 人間禅創始者耕雲庵老師の人となりについての思い出(その5)

人間禅創始者耕雲庵老師の人となりについての思い出(その5)

カテゴリ : 
座禅ブログ
執筆 : 
擇木道場 2017/2/3 0:10

人間禅創始者耕雲庵老師の人となりについての思い出(その5)

丸川春潭

S534月。老大師が師家を引退されてから、磨甎庵老師が色々気を遣われて、小旅行を茨城の方にご案内するようにとご下命を受けた。2泊3日で袋田の滝から福島県の五浦海岸を廻って鹿島神宮に帰ってくるコースを考えた。

同伴は、磨甎庵老師、小生、下平勁松居士の四名となった。宿は袋田温泉の旅館と福島県五浦海岸の平潟港保養館を取った。

・旅行に出かけたときに道場内と同じように、老師の履き物を侍者が揃えると老大師は嫌われた。ここは道場ではない!と。(オフィシャルとプライベートをきちっと分けられておられた。)

・袋田温泉の旅館では二部屋を取り、老師お二人の部屋と我々侍者二人の部屋と考えていたところ、磨甎庵老師が老大師とご一緒の部屋で寝るのを嫌がられ、侍者と一緒の三人で一部屋にと変更され、女中さんに指示された。

寝る前に広い温泉風呂に入って浴槽に二人の老師と小生と三人が顔を突き合わせて浸かっているとき、老大師が磨甎庵老師の方を向いて、(同じ大きさの部屋だから)儂と一緒に寝たら良いではないかと(先程風呂に来る前に布団が一つと三つになっているのをちらっと見られていたからだろう)、云われた。磨甎庵老師、言葉に窮したように黙って終われ、これは険悪な雰囲気になりそうだと感じた。咄嗟に「磨甎庵老師は、鼾をかかれるのでご遠慮されたのですが・・・」と申し上げましたら、老大師は急に破顔されて、じゃあ済まんが一人で寝させて貰うと、お湯でザブンと顔を洗われました。危ないところでした!(老大師は、蚊がブーンと鳴っても嫌がられることを先輩侍者から聞いていて、繊細な神経の方であることを知っていたのと、磨甎庵老師の鼾のすごさは、阪神支部時代とか房総道場が出来る前の房総支部徹宵摂心会とかでの襖越しにその鼾のすごさを知っていたのが、咄嗟に結びつけた一言でした。)

・翌日は日曜日であり、日曜日の朝7時からNHKテレビで「日本の自然」を毎回欠かさず見られるのが、老大師の日曜日朝のお楽しみでした。それを知っていましたから、宿のフロアにテレビが一台あることを確認しておきました。翌朝、6時から座るぞ!と磨甎庵老師から云われましたので、7時前にはテレビの前でNHKにチャンネルを合わせて老大師のお越しをお待ちできると目論んでいました。ところが6時から座り始め645分になっても直日の磨甎庵老師はチンを入れずに、2炷香目に入ってしまわれた。仕方なく座り続け7時半にチンが鳴って、飛んでテレビの前に行きましたら、同宿の年配の夫婦がテレビ前に陣取り別のチャンネルを見ており、耕雲庵老師の姿は見えませんでした。事生ぜり!(老大師は、他人が見ていたらチャンネルを変えてくれなど絶対に云われません。したがってこういうときには、侍者が先に陣取り皆さんにもお願いしてこちらにチャンネルにしておかねばならないのです。)やってしまった!!老大師の部屋はもぬけの殻、宿の女将に尋ねたら、カメラを持って港の方へ出かけられたとのこと!宿の前の平潟港に向かってすっ飛んでいけば、一人で宿に向かって帰って来られるところでした。テレビのことを平身低頭で謝りましたが、ウンと頷かれはしましたが、明らかに不機嫌!(磨甎庵老師にしかられても、7時前にはテレビの前に行くべきだったと後悔しましたが、後の祭りでした。)

・当日は快晴で、五浦海岸の海は青く、波が岩に当たり白波が飛沫を上げて砕けるという絶景でした。この岸壁の上から眼下の打ち寄せる波を写真に撮りたいと老大師が言い出されたので(磨甎庵老師始め皆んなで、危ないから無理だと云いましたが)、着物の帯をしっかり締め直して頂き、その兵児帯を小生がしっかり握りしめ、小生をまた勁松居士がひっぱるという体勢で老大師が崖から真下の波打ち際をのぞき込むようにして写真を数枚取られました。(後日、本部摂心会で磨甎庵老師が、老大師が楽しみにしていた五浦の写真を現像の時に失敗して駄目になったから、もう一度五浦に行きたいと仰っているので、またしばらくしたら行こうや!と。しかし、1年後には老大師は帰寂され、五浦海岸の断崖の写真は幻になりました。)

・五浦海岸から鹿島に帰り、予約していた鹿島神宮前のそば屋に坂東支部の連中も大勢で迎え、一緒に蕎麦を頂くことにしました。老大師は少し午睡をしたいと云われたので、部屋を取りお休み頂いている間、磨甎庵老師を囲んで坂東支部の連中とお茶で盛り上がっていました。小一時間して老大師が2階から降りてこられ、その輪に入られて、盛り上がってるなあ!と云われたので、小生が老大師の悪口を言って盛り上がっていましたと軽口を叩いたら、老大師真顔になって、悪いところがあったら改めるから云ってくれ!と。平身低頭して謝ったら、老大師も笑って居られました。(小生の軽口に合わせられた掛け合いでした。)老大師の好みの蕎麦は盛りそばですが、間違って汁蕎麦が老師の前に置かれ、これはオレのではない!と。咄嗟にそれは小生が頂きますと云っておいて、大至急天ぷら盛りそばを注文しました。危ないところでした。蕎麦が出てくるのが遅く、ひやひやでした。しかし老大師、この天ぷら盛りそばを食べられて、この蕎麦は旨い!と。そして磨甎庵老師の方を向いて、蕎麦だけでも良いからまた来たいなあ!と。磨甎庵老師も喜んで大きく頷かれていました。しかしそれを履行することが出来ず終いになり、心残りです。)

・昼食が終わって鹿島神宮駅でお二人の老師をお見送り。耕雲庵老師は、片手を挙げて“ご苦労!”でさっと車中の人に。

磨甎庵老師は、“愉快であった!”と云われ、小生の手の上に10cm×5cm×1cmくらいの石を載せて、“勿来の関で拾った石だ“と。

板東支部の皆とホームで合掌し列車が見えなくなるまでお見送りをしました。

 

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